原文(漢文)、読み下し文、注釈、その他資料、解説という編集。原文には返り点がついているので、多少の素養があれば、おおまかには意味が取れる。出来事だけ追うなら、読み下し文より漢文に当たった方がいいかもしれない。
注も充実していて読み応え十分。総合的にこの岩波版は、現在のところ書紀の「決定版」だろう。
なお本文とは無関係だが、個人的に気になった部分を二つあげておく。
①第五巻において、天智(天皇)に「てんぢ(じ)」ではなく「てんち」と読み仮名がふられている。現在の通説とは異なり、後者の方が蓋然性が高いということなのか。
②同じく第五巻の「増補注」の、大泊瀬幼武天皇についての記述において「稲荷山鉄剣銘の大王を東国のそれとする説(古田武彦)」とある。あの異端の研究者の名が、この「決定版」に現れた理由は何であろう。
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日本書紀 (5) (岩波文庫 黄 4-5) 文庫 – 1995/3/16
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- 本の長さ624ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日1995/3/16
- 寸法10.7 x 2.5 x 14.9 cm
- ISBN-104003000455
- ISBN-13978-4003000458
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
「巻第二十七 天智天皇」から「巻第三十 持統天皇」まで。白村江の会戦(六六三)、壬申の乱(六七二)、浄御原令実施(六九〇)と、歴史上著名な出来事や厳しい権力闘争を経て、中央集権的な律令国家が完成されていく時代を記録性豊かに叙述。
登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (1995/3/16)
- 発売日 : 1995/3/16
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 624ページ
- ISBN-10 : 4003000455
- ISBN-13 : 978-4003000458
- 寸法 : 10.7 x 2.5 x 14.9 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 71,701位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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著者について
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1919‐2008年。学習院大学名誉教授。東京大学文学部卒業。国語学者。文学博士(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 源氏物語 (ISBN-13: 978-4006001971 )』が刊行された当時に掲載されていたものです)
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上位レビュー、対象国: 日本
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2023年3月21日に日本でレビュー済み
日本の古代史の通説を再検討するために購入しました。大変、参考になります。
通説では、日本の歴史、特に、大和朝廷は、奈良盆地から始まったことになっています。
しかし、奈良盆地は湿地帯であり、少なくとも飛鳥時代くらいまでは、中央部に巨大な湖が存在したことが分かっています。また、奈良盆地で発見された唯一の古代遺跡である唐古遺跡では、度重なる水害によって、人々が撤収した跡が残っています。
纒向遺跡でも、人々が暮らした跡が見つかっていません。
加えて、奈良盆地では、大陸との交流を証拠付ける遺物がほとんど見つかっていません。
奈良盆地に、普通に人々が住むようになったのは、江戸時代に大規模な灌漑工事が行なわれてからです。にもかかわらず、現在、法隆寺をはじめとする古い寺や神社が多く存在するのは、江戸時代初期に 別の場所にあったものを、移築して整備した結果です。これは、礎石の調査から分かっています。
同様のことは、京都盆地についても言えます。
では、大和朝廷の発祥の地、大和国は どこにあったのか?
『日本書紀』を深く読み込むと、まず、気づくことは、頻繁に現れる、「海」が 実際には 当時 橋を掛けられず、渡し船を必要とするような川であるということです。同時に、「島」は 川の中州であるということです。
例えば、因幡の白兎が渡ったのは、川の中州です。ワニとは、スッポンのことだと分かります。そもそも蒲は川岸に群生している植物です。
同様に浦島太郎が助けたカメはイシガメであり、竜宮城は、川底または沼の底にあったことになります。実際、浦島伝説は、海のない地域にも存在します。
桃太郎の鬼ヶ島も中洲です。
大陸との交流を最も重要な条件と考えたとき、当時の船は、港がないので、川に侵入する必要があったということから、「どの川か?」ということになります。
それは、ずばり、鶴見川と境川です。どちらも、流域に大陸との交流を証拠付ける横穴式石室等が多く残っています。「町田市三輪」は、鶴見川流域にあり、低いながら「三輪山」と呼べる丘があります。近隣には、長く天皇家の所有地であった「こどもの国」があります。
「みわ」は漢字で「大和」と書くことができます。
「町田市三輪」周辺に「大和国」が存在したことに気づくと、「日本書紀」の記述を頼りに、仁徳天皇の「難波」が現在の「町田市成瀬」周辺であること、「飛鳥」が、「町田市南大谷」周辺であること、「藤原京」だけは、遠く、現在の「奈良県」にあったこと、「山背国」は 現在の「横浜市青葉区奈良」の「奈良山公園」の南側に広がっていたこと、「逢坂の関」は、現在の「成瀬尾根道」で有ることなどが分かります。ちなみに、「平城京」は、現在の「横浜市青葉区奈良」の「奈良山公園」の北側に位置していました。現在の「横浜市青葉区奈良」の「奈良山公園」が「大和国」と「山背国」との境界です。
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◎12:16 2023/03/21
『日本書紀』を"解読"する上での「手引き(/ヒント)」を以下にまとめます。
●文書に現れる「海」は、通常、"ある程度大きな川"(または、"ある程度大きな湖")を指す。
※大きさの目安は、"渡し船"の有無。
●文書に現れる「島」は、通常、"川の中州"を指す。
●文書に現れる「津」は、通常、"川の船着き場"を指す。
※古代には、堤防が必要なため、海岸に港を作る技術を持たなかった。
●"地名"を、以下の現在の場所へ対応させて解釈する。
・「出雲(国)」→ 現在の「町田市相原」周辺(境川上流域。山陰地方と風水配置が一致している)
・「常陸(国)」→ 現在の「町田市多摩境」周辺(境川中流域。東方に「甲斐(国)」)
・「甲斐(国)」→ 現在の「町田市小山田」周辺(鶴見川上流域。西方に「常陸(国)」)
・「伊勢(国)」→ 現在の「町田市野津田」周辺(鶴見川中上流域。鶴見川下流に「大和(国)」)
・「大和(国)」→ 現在の「町田市三輪」周辺(鶴見川中流域。鶴見川上流に「伊勢(国)」)
・「山背(国)」→ 現在の「横浜市青葉区奈良」の「奈良山公園」の南側に広がる。西限は、現在の「成瀬尾根道」(/「大阪の関」)。東限は、現在の「横浜市青葉区桂台」。南限は、現在の「横浜市青葉区恩田町の一部」。現在の「横浜市青葉区恩田町」の南側が「河内(国)」。中央を北から南へ「奈良川」(昔の「鴨川」)が流れる。(現在の「横浜市青葉区奈良3丁目・2丁目・すみよし台・桂台・恩田町の一部」)
・「河内(国)」→ 現在の「横浜市青葉区あかね台」周辺。中央を北から南へ「奈良川」(昔の「鴨川」)が流れる。西限は、現在の「成瀬尾根道」(/「大阪の関」)。南限は、現在の「恩田川」。「恩田川」の反対(/南)岸は、「近江国」。
・「摂津(国)」→ 現在の「成瀬尾根道」(/「大阪の関」)の西側に広がる。「成瀬尾根道」(/「大阪の関」)の北の終点より北側は、「大和(国)」に隣接する。「難波」「飛鳥」を含む。「難波」は、恩田川の北岸。現在の「町田市成瀬」周辺。
・「日向(国)」→ 現在の「町田市本町田」周辺。恩田川の源流域。
・「美濃(国)」→ 現在の「町田市原町田」周辺。「不破の関」を含む。
・「信濃(国)」→ 現在の「町田市忠生」周辺。「美濃(国)」から「信濃(国)」へ至る「木曽路」は、現在の「町田街道」(昔の「東山道」)の一部。
・「駿河(国)」→ 現在の「町田市常磐」周辺。恩田川の反対岸(/西南岸)は「相模国」。
・「飛鳥」→ 現在の「町田市南大谷・高ヶ坂」周辺。現在の「南大谷中学校」・「南大谷小学校」(旧地名「三蔵寺」周辺)が「飛鳥寺」の敷地と寺社田。「川原寺」は、反対岸(/西岸)の旧地名「久昌寺」周辺。現在の「町田市高ヶ坂」に含まれる。現在「町田市立第二中学校」が在る丘が 蘇我氏の「甘樫丘」。飛鳥官庁は、現在の「町田市南大谷天神社」周辺。
・「斑鳩」→ 現在の「横浜市青葉区恩田徳音寺」周辺。
・「東海道」→ 現在の「町田市野津田」から、現在の「町田市原町田」までの、現在の「鎌倉街道」~「旧鶴川街道」。現在の「原町田大通り」の所で、「東山道」(現在の「町田中央商店街」)に合流(「不破の関」)。現在の「町田市野津田」付近に「鈴鹿の関」が在った。「東海道」の西側に広がるのが「東国」。
※「東海道」は、東に恩田川が流れるの意。
・「東山道」→ 現在の「町田中央商店街」~ 現在の「町田街道」。「木曽路」を含む。
※「東山道」は、東に山(/七国山・小山田緑地等)があるの意。
・「太宰府」→ 「鶴見川」と「恩田川」とが合流する 現在の「横浜市緑区青砥町」に在った。
通説では、日本の歴史、特に、大和朝廷は、奈良盆地から始まったことになっています。
しかし、奈良盆地は湿地帯であり、少なくとも飛鳥時代くらいまでは、中央部に巨大な湖が存在したことが分かっています。また、奈良盆地で発見された唯一の古代遺跡である唐古遺跡では、度重なる水害によって、人々が撤収した跡が残っています。
纒向遺跡でも、人々が暮らした跡が見つかっていません。
加えて、奈良盆地では、大陸との交流を証拠付ける遺物がほとんど見つかっていません。
奈良盆地に、普通に人々が住むようになったのは、江戸時代に大規模な灌漑工事が行なわれてからです。にもかかわらず、現在、法隆寺をはじめとする古い寺や神社が多く存在するのは、江戸時代初期に 別の場所にあったものを、移築して整備した結果です。これは、礎石の調査から分かっています。
同様のことは、京都盆地についても言えます。
では、大和朝廷の発祥の地、大和国は どこにあったのか?
『日本書紀』を深く読み込むと、まず、気づくことは、頻繁に現れる、「海」が 実際には 当時 橋を掛けられず、渡し船を必要とするような川であるということです。同時に、「島」は 川の中州であるということです。
例えば、因幡の白兎が渡ったのは、川の中州です。ワニとは、スッポンのことだと分かります。そもそも蒲は川岸に群生している植物です。
同様に浦島太郎が助けたカメはイシガメであり、竜宮城は、川底または沼の底にあったことになります。実際、浦島伝説は、海のない地域にも存在します。
桃太郎の鬼ヶ島も中洲です。
大陸との交流を最も重要な条件と考えたとき、当時の船は、港がないので、川に侵入する必要があったということから、「どの川か?」ということになります。
それは、ずばり、鶴見川と境川です。どちらも、流域に大陸との交流を証拠付ける横穴式石室等が多く残っています。「町田市三輪」は、鶴見川流域にあり、低いながら「三輪山」と呼べる丘があります。近隣には、長く天皇家の所有地であった「こどもの国」があります。
「みわ」は漢字で「大和」と書くことができます。
「町田市三輪」周辺に「大和国」が存在したことに気づくと、「日本書紀」の記述を頼りに、仁徳天皇の「難波」が現在の「町田市成瀬」周辺であること、「飛鳥」が、「町田市南大谷」周辺であること、「藤原京」だけは、遠く、現在の「奈良県」にあったこと、「山背国」は 現在の「横浜市青葉区奈良」の「奈良山公園」の南側に広がっていたこと、「逢坂の関」は、現在の「成瀬尾根道」で有ることなどが分かります。ちなみに、「平城京」は、現在の「横浜市青葉区奈良」の「奈良山公園」の北側に位置していました。現在の「横浜市青葉区奈良」の「奈良山公園」が「大和国」と「山背国」との境界です。
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◎12:16 2023/03/21
『日本書紀』を"解読"する上での「手引き(/ヒント)」を以下にまとめます。
●文書に現れる「海」は、通常、"ある程度大きな川"(または、"ある程度大きな湖")を指す。
※大きさの目安は、"渡し船"の有無。
●文書に現れる「島」は、通常、"川の中州"を指す。
●文書に現れる「津」は、通常、"川の船着き場"を指す。
※古代には、堤防が必要なため、海岸に港を作る技術を持たなかった。
●"地名"を、以下の現在の場所へ対応させて解釈する。
・「出雲(国)」→ 現在の「町田市相原」周辺(境川上流域。山陰地方と風水配置が一致している)
・「常陸(国)」→ 現在の「町田市多摩境」周辺(境川中流域。東方に「甲斐(国)」)
・「甲斐(国)」→ 現在の「町田市小山田」周辺(鶴見川上流域。西方に「常陸(国)」)
・「伊勢(国)」→ 現在の「町田市野津田」周辺(鶴見川中上流域。鶴見川下流に「大和(国)」)
・「大和(国)」→ 現在の「町田市三輪」周辺(鶴見川中流域。鶴見川上流に「伊勢(国)」)
・「山背(国)」→ 現在の「横浜市青葉区奈良」の「奈良山公園」の南側に広がる。西限は、現在の「成瀬尾根道」(/「大阪の関」)。東限は、現在の「横浜市青葉区桂台」。南限は、現在の「横浜市青葉区恩田町の一部」。現在の「横浜市青葉区恩田町」の南側が「河内(国)」。中央を北から南へ「奈良川」(昔の「鴨川」)が流れる。(現在の「横浜市青葉区奈良3丁目・2丁目・すみよし台・桂台・恩田町の一部」)
・「河内(国)」→ 現在の「横浜市青葉区あかね台」周辺。中央を北から南へ「奈良川」(昔の「鴨川」)が流れる。西限は、現在の「成瀬尾根道」(/「大阪の関」)。南限は、現在の「恩田川」。「恩田川」の反対(/南)岸は、「近江国」。
・「摂津(国)」→ 現在の「成瀬尾根道」(/「大阪の関」)の西側に広がる。「成瀬尾根道」(/「大阪の関」)の北の終点より北側は、「大和(国)」に隣接する。「難波」「飛鳥」を含む。「難波」は、恩田川の北岸。現在の「町田市成瀬」周辺。
・「日向(国)」→ 現在の「町田市本町田」周辺。恩田川の源流域。
・「美濃(国)」→ 現在の「町田市原町田」周辺。「不破の関」を含む。
・「信濃(国)」→ 現在の「町田市忠生」周辺。「美濃(国)」から「信濃(国)」へ至る「木曽路」は、現在の「町田街道」(昔の「東山道」)の一部。
・「駿河(国)」→ 現在の「町田市常磐」周辺。恩田川の反対岸(/西南岸)は「相模国」。
・「飛鳥」→ 現在の「町田市南大谷・高ヶ坂」周辺。現在の「南大谷中学校」・「南大谷小学校」(旧地名「三蔵寺」周辺)が「飛鳥寺」の敷地と寺社田。「川原寺」は、反対岸(/西岸)の旧地名「久昌寺」周辺。現在の「町田市高ヶ坂」に含まれる。現在「町田市立第二中学校」が在る丘が 蘇我氏の「甘樫丘」。飛鳥官庁は、現在の「町田市南大谷天神社」周辺。
・「斑鳩」→ 現在の「横浜市青葉区恩田徳音寺」周辺。
・「東海道」→ 現在の「町田市野津田」から、現在の「町田市原町田」までの、現在の「鎌倉街道」~「旧鶴川街道」。現在の「原町田大通り」の所で、「東山道」(現在の「町田中央商店街」)に合流(「不破の関」)。現在の「町田市野津田」付近に「鈴鹿の関」が在った。「東海道」の西側に広がるのが「東国」。
※「東海道」は、東に恩田川が流れるの意。
・「東山道」→ 現在の「町田中央商店街」~ 現在の「町田街道」。「木曽路」を含む。
※「東山道」は、東に山(/七国山・小山田緑地等)があるの意。
・「太宰府」→ 「鶴見川」と「恩田川」とが合流する 現在の「横浜市緑区青砥町」に在った。
2022年8月20日に日本でレビュー済み
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さすがに新しい出版のものは読みやすいです。
おそらく、最近の言語学的研究の成果が盛り込まれたのではないかと推察しますが、そちらの解説だけで相当なページを割いています。
読み応えありとも言えますし、言語学以外の考察の印象が薄い…。
でも、こうやって研究が進んで、そのたびに新・日本書紀が発売されるのかな…。
おそらく、最近の言語学的研究の成果が盛り込まれたのではないかと推察しますが、そちらの解説だけで相当なページを割いています。
読み応えありとも言えますし、言語学以外の考察の印象が薄い…。
でも、こうやって研究が進んで、そのたびに新・日本書紀が発売されるのかな…。
2015年5月28日に日本でレビュー済み
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本書は白村江の戦いの天智天皇、壬申の乱の天武天皇、その皇后たる持統天皇を収録する。古代における最大の外征と内乱とを扱っているが決して面白いものではない。既に神代ではなく朝廷の記録が充実している時代であり、諸氏族への気配りもあって総花的な記述になっている。
その代わりと言っては何だが、解説はなかなか興味深い。小島憲之氏によるものは「神代紀のおびただしい一書の引用は、旧辞の諸説をしいて統一せず、異説をあるがままに伝えようとした編者の大らかな態度を示したもの」と評価している。また「『百済記』は神功・応神・雄略の三紀に、『百済新撰』は雄略・武烈の両紀に、『百済本記』は継体・欽明の両紀に引用されている」と議論の多い天皇の記述に三韓の一国の史書を利用していることも指摘している。
一方巻末には高名な家永三郎氏が「研究・受容の沿革」について書いている。支那事変を「中日戦争」と記し、「二月十一日を建国記念の日として祝日に加える措置が多数の歴史学者の反対をおしきって遂に実現されたごときは、おそらく記紀の科学的研究の進展にも影響を与えないではおかないであろう」といかにも氏らしい持論を展開しておられて微笑を禁じ得ない。
その代わりと言っては何だが、解説はなかなか興味深い。小島憲之氏によるものは「神代紀のおびただしい一書の引用は、旧辞の諸説をしいて統一せず、異説をあるがままに伝えようとした編者の大らかな態度を示したもの」と評価している。また「『百済記』は神功・応神・雄略の三紀に、『百済新撰』は雄略・武烈の両紀に、『百済本記』は継体・欽明の両紀に引用されている」と議論の多い天皇の記述に三韓の一国の史書を利用していることも指摘している。
一方巻末には高名な家永三郎氏が「研究・受容の沿革」について書いている。支那事変を「中日戦争」と記し、「二月十一日を建国記念の日として祝日に加える措置が多数の歴史学者の反対をおしきって遂に実現されたごときは、おそらく記紀の科学的研究の進展にも影響を与えないではおかないであろう」といかにも氏らしい持論を展開しておられて微笑を禁じ得ない。
2020年2月23日に日本でレビュー済み
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ノとは、少女、月を意味する。という。香取が、か、が、古語では、難しい文字となっているのに驚きました。とても、おもしろい本です。
2017年8月31日に日本でレビュー済み
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外出先でも手元に置いて見易いサイズなので購入したけれど、新書を持っているので基本的にはコレクション購入。
普段使いには新書版の方が使い易い。
普段使いには新書版の方が使い易い。
2016年11月9日に日本でレビュー済み
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古典文学大系のハンディー版と思えばコスパ最高です。学生諸君必携です。
2020年12月21日に日本でレビュー済み
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古典は若い時に読んで、保存してまた年を取ってから読むことが多いのだけれど、若い時と違って目が悪くなっているんです。若い時はそのことをわかっていなかったので、文庫を購入し、字の大きいものを買わなかったのでした。書店で買っていれば確認できるので間違いがないのですが、最近は書店は取り寄せが不自由になり、難儀しておりました。いろいろ画面のタグがわかりにくくなっていたのですが、欲しかったものがそろいました、ありがとうございます。